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粟のブログ - 最新エントリー

☆ヤギについて♪

カテゴリ : 
未分類
執筆 : 
m.miura 2009-1-1 1:00
※この記事は旧ブログに2005年03月06日付で投稿された記事です。

かってヤギは日本の農家の庭先で愛らしい家畜として親しまれ、私たちのとても身近な存在でした。

この精華地区でも昭和30年ごろまでは約60頭のヤギが大切に飼われていましたが、時は移り、すっかりヤギを目にすることはなくなってしまいました。

ヤギが姿を消して長い時間が過ぎましたが、2004年の2月、『清澄の村』に田原本の「アトリエマーケットNPO」から『ボス』と『メイ』と名づけられ たヤギのつがいがやってきました。 この2頭の子でその春に誕生した息子の『小春(こはる)』、そして同年秋には娘の『なな』も加わり個性的な4頭のファ ミリーとなったヤギたちは、この地を訪れる人々の大の人気者になりました。

清澄の村ではこのヤギ親子が繰り広げる世界を通して、ヤギについて学び、ヤギ文化の継承もおこなっていきたいと考えています。



「清澄の村ホームページ」http://www.kiyosumi.jp/index.html





おわり

☆清澄の村のご紹介!

カテゴリ : 
未分類
執筆 : 
m.miura 2009-1-1 0:50
※この記事は旧ブログに2005年03月02日付で投稿された記事です。



清酒発祥の地として知られる正暦寺に隣接する奈良市高樋町は、万葉の歌人達に「清澄の里」と詠われていた今なお昔ながらの田園風景が広がるまほろばの里です。

そのいい伝えにより名づけられた「清澄の村」はこの地に拠点を置き、1998年より奈良県の伝統野菜である大和伝統野菜の調査研究を行ってきました。そ して現在では大和野菜を中心にエアルームと呼ばれる海外の伝統野菜を加えた国内外の在来種を年間約100種類以上、栽培・保存しています。

「家族が喜ぶ顔を思い描きながら育てる大和の野菜」

「大和の野菜は自らが作って、自ら食べる野菜」
といわれるように種を継ぎ、食文化を継承することを通してそれぞれの土地と食文化に根づきながら作り継がれてきた大和の伝統野菜をかけがえのない地域の文化遺産として次世代に継承してゆきたいと考えています。

清澄の村はこれらの種とメンバーのもつ伝統的な知恵を種火に、様々な分野の人材をリンクし、文化創造とコミュニティ機能の再構築をめざすコミュニティビジネスのネットワークです。

清澄の村ホームページ

http://www.kiyosumi.jp/index.html

【大和野菜】

地域の食文化と共に継承されてきた

奈良県内における伝統野菜。

代表的なものに大和マナ、大和イモ、

大和三尺きゅうりなどがある。

【エアルーム:Heirloom】

世界の様々な民族によって幾世代に

わたって受け継がれてきた在来種。

「先祖伝来の財産・宝」と訳される。

【コミュニティビジネス】

福祉、まちづくり、環境、食品加工

など様々な分野で、地域の人たちが

地域のニーズを掘り起こしておこなう

事業。ビジネスでありながら特定の

地域や個人を対象とする新しい事業

形態といえる。



任意団体からNPO法人(特定非営利活動法人)へ



「清澄の村」はさらなる活動の深化のため任意団体からNPO法人へと組織変更いたします。2004年9月28日には設立総会を開催し、設立申請を行いました。

☆お気に入りBOOK〜「SEED」

カテゴリ : 
未分類
執筆 : 
m.miura 2009-1-1 0:40
※この記事は旧ブログに2005年03月04日付で投稿された記事です。



今回は私達のお気に入りの本を一つ紹介します。それは以前ビジネスジャンプに連載されていた「SEED」というマンガの物語です。

このSEEDの中では植物の生命力に魅せられた一人の男性を主人公にして、自然との共生、環境問題、農業に種、植物の力、そしてODAにNGOといった様々なテーマが国内外を舞台に展開されていきます。

どの物語も自然に関心のある方には興味深く、またそうでない方にも分かりやすいのではないかと思います。中でも心に残ったのは7巻に収録されている「緑 の革命」という話でした。この物語はインドのパンジャブ州を舞台に、種と人間の生活、そして伝統文化との関係をわかりやすく解き明かしてみせてくれていま す。食料以外に伝統的な作物が私達人間に与えてくれているもの、自然と人間がうまくバランスをとれたときに現れるという蝶の話などの深い洞察を与えてくれ るエピソードが織り込まれているように思います。

この物語の読後に思ったことは、国内外を問わず地域の文化遺産である伝統的な作物がのこっている地域には、比例して伝統的な文化も残っているのではない かということ。そして在来原種の作物やその土地固有の生き物が生活の身近に存在していることは、私達の生き方、文化が自然と調和し健康でいるかどうかとい う一つのバロメーターといえるのではないかということです。

私達が美しい赤穂を靡かせる古代米の姿、個性的で色彩豊な在来原種の野菜、夜空に舞う蛍の光、そして虫たちの奏でる音楽にあたたかい懐かしさや安心感、そして感動を覚え魅かれてゆくのは心のどこかでそんな事を覚えているからなのかもしれません。

物語の中で登場人物の老人が語る「自然だけの世界も、人間だけの世界もない。人のいるところでは人が必ず自然に働きかける。人のやることを自然が許してくれる限り人は生きていける」という言葉がとても印象的でした。

おわり

☆タノカンサァ(後編)

カテゴリ : 
未分類
執筆 : 
m.miura 2009-1-1 0:20
※この記事は旧ブログに2005年03月02日付で投稿された記事です。



タノカンサァの後編となる今回は、農村の文化財ともいわれるこのタノカンサァについて調べてみた事を少しまとめてみたいと思います。

タノカンサァは現在でも、旧薩摩藩にあたる鹿児島と宮崎で、五穀豊穣をもたらす庶民信仰のかみさまとして大切にまつられています。

奈良ではほとんど知られていませんが、鹿児島では観光記念タバコのパッケージに使用されたりと生活の身近に溶け込んでいるようです。鹿児島に多く存在し ている理由は、土地がやせ台風や火山灰といった地理的条件の中、江戸時代に薩摩藩が米作りを推進する一環として田の神像の造立を奨励したからともいわれて います。

最も古いといわれるものは宝永2年(1705)の作といわれ、また田の神像の特徴としては武将型、神職型、女官型に地蔵型といった造形の多様さが挙げられます。

そしてタノカンサァを中心とした地域の祭礼には田之神講(タノカンコ)があり、村の人が総出でこの祭礼を楽しみ、タノカンサァは地域の中心的な存在と なっていました。こういったことが、人と人、人と地域のつながりが希薄になったといわれる現代に、田のかみさまが地域の文化財といわれるゆえんであるのか もしれません。

最後にタノカンサァ関連のインフォメーションを少し!!

☆田のかみさまに関連した書籍は意外にも数多く存在していますが、その多くは古い専門書です。興味をもたれた方に個人的にお薦めのものは、2000年に出版された鹿児島在住の写真家樋渡直竹さんの写真集「春夏秋冬田の神の里」(南方新社 3500円)です。(粟の閲覧コーナーにおいてあります!)美しい風景と何ともユーモラスな田の神像の写真の数々、そして肩肘張らない解説文が懐かしい感覚をあたえてくれます。



それにしても数ある中でも私達の出会った田のかみさまが最も愛らしく感じられるのは身内の「ごひいき」なのでしょうか?! 子供からお年寄りまで老若男女問わずに愛されている粟のシンボル「タノカンサァ」。

雨が降ろうとも風が吹こうとも何も語らずニコニコしているその姿から勉強させられることもたくさんあるような気がしてきます!!

おわり

☆タノカンサァ(前編)

カテゴリ : 
未分類
執筆 : 
m.miura 2009-1-1 0:10
※この記事は旧ブログに2005年03月02日付で投稿された記事です。



今回は粟のチラシやホームページでもシンボル的に使っている笑い顔の石像のことを少し書いてみたいと思います。

粟に来られたことのある方は、粟の玄関口にある柿の木の根元に棚田をバックに一体の石像が微笑んでいるのが目にとまることと思います。お地蔵様でもな く、大和の地ではなじみのない姿形をしています。それもそのはずこの石像の正体は、旧薩摩藩にあたる宮崎県からはるばるこの奈良までやってこられた田んぼ の神様、通称「タノカンサァ」なのです。

このタノカンサァは旧薩摩藩である鹿児島県や宮崎県の南部地域で稲を守り五穀豊穣をもたらす庶民信仰の神様として大切にされてきたといわれています。  田の神様をあがめる風習は全国にありますが、石像として具現的に造立されているのはこの旧薩摩藩の領域に限られているということです。

私達とこのタノカンサァとの出会いは三年前の秋に、いつもお世話になっている八島町の陶舗「一慶」というギャラリーの庭先でした。

この時、一慶さんでは年に一回の骨董市の真っ最中で、タノカンサァもこの催しのために宝塚の方から預かってこられたということでした。一慶さんにタノカ ンサァを託けられた方は宮崎県でこの石像と出会い譲っていただいたということですから、それに私達が一目ぼれしたことによって、このタノカンサァははるば る南九州から清澄の里にやってこられることになったわけです。

前編というわけでまずはタノカンサァの紹介です。

次回にタノカンサァが農村の文化財といわれるいくつかの考察や関連した情報をまとめてみたいと思います!

つづく

☆一粒万倍の粟!

カテゴリ : 
未分類
執筆 : 
m.miura 2009-1-1 0:00
※この記事は旧ブログに2005年03月02日付で投稿された記事です。





今回は私達のお店の屋号について少し書いてみました。西の米と書いて粟(あわ)、これをお店の屋号にしています!  

時々まちがって、予約や問い合わせの電話で「栗(くり)さんですか?」という方もありますが、(確かに粟より栗のほうが知名度は高いですね!)粟が正しいお店の名前なのです!!

よくお客さんから「なぜ粟という屋号にされたのですか?」という質問をされることがありますが、そんな疑問に答える意味でも、この場をつかって少しまとめてみたいと思います。

そもそも粟は稲、稗、黍、麦などと共に五穀にも数え上げられている作物の意で、日本では稲とともに昔から大切に育て続けられてきた穀物の名称です。昔の暦である太陰暦の中には「一粒万倍日」という日があり、この日に作物の種を播くと一粒の種がたくさん実る縁起のよい日とされていますが、この日の由来も粟から始まったとされています。また漢字が伝わる以前にこの国で使われていたという大和言葉によると「あ」はすべての始まりを表し、「わ」はすべての調和を表すとされています。

そこで、このように粟という中に秘められている意味のように、大和の伝統野菜や人の和が広がってゆく種火のような場所になれればとの想いをこめて粟を屋号としたのです。 

確かに実物の粟を目にされると一粒万倍の意味が良くわかりますよ! 畑で育ててきた粟の収穫も終わったので、まだ目にされたことのない方のために「ムコダマシ」という粟の写真を載せておきますのでご覧くだい!

おわり
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